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Letter
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ワイン入りのグラスが、細く白い指先で持ち上げられ、そのまま空中でゆるゆると回されて、口元へと運ばれていった。
グラスの主は青魔道士―――ドメニコで、この日は従者と共に貰った休日を楽しんでいた。普段身につけている羽付き帽子も今は外しており、長い髪がさらさらと肩にかかっている。
窓際で伏目がちにワインを含み、時折流し目で外を見やるその姿は真実絵になっており、一人の女性が物憂げに佇んでいる様にしか見えない。
最も、一人で出歩く度に言い寄られたり―――彼らは全て返り討ちにした―――、服屋で女物を見立てられたりと苦労が尽きない為、本人はこの事を非常に不服としている。男としてのプライドに関わるだけではなく、とある事情から、「女性らしい」という事が彼には笑えない冗談でもあるからだ。
「いつごタルトで良ガ?」
ベントンがタルトの盛られた皿を持ってやって来て、隣に座った。
その上に乗っている物をチラリと見、ちょっと残念そうな笑顔を作って見せる。
「僕、ブルーベリーがえがっタナァ~。」
目を点にしてあわあわと立ち上がろうとするベントンの袖を、冗談だよ、と引き戻して座らせてやったが、彼が浮かべている困った様な表情は、このお人好しの騎士が納得していない時に見せるそれであると、ドメニコは知っていた。
「訓練。」
一から十まで全て人のお願い聞いてちゃ、身がもたないでしょ?と丸めこみ、横に置いてあったナイフとフォークで、出来るだけ苺を両断しない様に切り分ける。
途中、横から世話焼きな大きい手が伸びてきたが、いい、と一蹴した。
「危ネェ事は、オラがすっから…」
「休日くらい、家来でいるの止めなよ。」
苦笑交じりに宥めながら、タルトを四等分、更に二等分する。顔を見なくとも、隣でベントンがどんな表情を浮かべているか、ドメニコには目で見る様に分かる。それ程長い時間、共にあったのだ。
大きな体躯が所在無げに横で身動きするのを感じながら、八枚切りにしたタルトを四切れずつ皿に取る。
その内の一枚をフォークでベントンの前へと持って行ってやれば、戸惑った様子で見返してきた。真っ直ぐ伸ばされた両肘に、両手は綺麗に膝の上。
これではまるで、
「…ベントン、お見合いじゃないんだからさ。」
「…変ガ?」
「変だよ、何緊張してんのさ。」
…ガチガチになっている。ベントンの気持ちを言葉にするとすれば「恐れ多い」と言った感じだろうか。あまりにも「して貰う事」に慣れていないらしい。
一点たりともタルトから視線を逸らさないベントンに呆れ、試しにその目前にタルトの切れ端を突き付けてみた所で、ついにドメニコは吹き出した。
「なじょした。」
「だって、ベントン寄り目…っ」
その後は言葉にならなかった。どうやら自分が原因だというのは分かっても、全くの無自覚だったベントンは、やや赤面しながらドメニコの背を擦り落ち着かせようとするが、
「ははは、苦し、あははははっ!!」
どうやら壺にはめてしまった様だ。しかもエスカレートさせている。
最も、彼が背に触れる事で、ドメニコの脳裏に自分の「寄り目」が何度も再生されている等、分かる筈も無いので無理はなかったが。
―――その日の晩、仔馬亭二階の宿の一室。
「笑い、疲れですか…。」
「随分お気楽な疲労だな。」
「そんな事無いよ、あの後咳き込んで大変だったんだから。」
やや照明を落とした部屋で、三つの人影がテーブルを囲んで話しこんでいる。
ドメニコの笑い話に、やや不機嫌に返すのはエメットだ。
「自業自得だろう。」
「まぁそう仰らずに。お疲れなのは分かりますから。」
腕組みして不貞腐れている狩人は、ドメニコのベントンに対する「主馬鹿」エピソードと、昼間の自分達のチェルニー騒動が、宿に帰れば同じ「笑い話」に成り下がってしまうのが納得いかないらしい。エメットも、紅茶を運んできて席についたムジカも、暴走したチェルニーを追って山中を走り回ったせいで、あちこち擦り傷だらけだ。
「それで?ちゃんと分かってくれたの?うちの暴れ獅子さんは。」
「何とか理解して下さいましたが…」
「実際にはキレる寸前だったな。」
―――あぁん?一匹しか要らねぇだぁ?
怒気を孕んだ低い声と、日を背にしてこちらを見下げる光る眼が浮かんできて、エメットとムジカは同時にため息をもらした。それに苦笑し、お疲れ様、とドメニコが労いの言葉をかける。
「ああいう時こそ、貴方に居て欲しいものですね。」
「え?何で?」
ドメニコに不思議そうに聞き返され、ムジカは言葉に詰まる。
「良くも悪くも、口が上手いからだろ。」
「はい。…あ、いえ、違いますよ、その!」
エメットが助け舟を出すが、残念ながら泥船だ。
ドメニコが頬を膨らましてムジカを睨み、ムジカはぺこぺこと頭を下げ続ける羽目になってしまった。
「ひっどーい!うわー、傷ついた、僕傷ついた。大体僕が器用なんじゃなくて、二人が不器用なだけでしょー?ほらそこ、我関せず装っているそこのエメット。君も交渉となると人に任せっきりな癖に言うよねー。・・・二人とも甘え過ぎ。」
「す、すみません…。」
「…。」
さり気無く、自分にも釘を刺す辺り流石だな、と、どこか他人事の様に思いながら、エメットはふと、何かが足りないのに気付いた。
ベントンやチェルニー、幼いポーリーヌとミハエルの二人組は、既に布団の中だが、それにしても静かである。
―――いつもなら、クランのネタ話にあっちこっち首を突っ込んでくるあいつが、居ない。
「どうかされましたか?」
疑問が顔に出ていた様だ。ムジカが、声をかけてきた。
「いや…ワイリーはどうした。」
「そーいやぁ居ないねぇ。ムジカ、どっかで見た?」
「いえ…夕食の時も宿のバイキングには居ませんでした。」
「わいリーなラ、オラが帰っタ時に、今日は外で食っテくっカらァって言ってタよォ。」
三人の話し声に目が覚めたのか、横で寝ているポーリーヌを気遣いながら、ベントンが横になったまま顔を向けた。覚めた、とは言っても、その瞼は今にも閉じそうだ。
「すみません、起こしてしまいましたね。」
ムジカが、いくらか声のトーンを落として謝る。
「オラぁ構わネェよぉ…ンでも、わらすっこ寝てるカラ…」
人差し指を口の前にもってくる。そのベントンのリアクションをドメニコが「シーッ」と言いながら寄り目で真似、ムジカはぐふっと吹き出して慌てて耐えた。
幸い、未だにネタにされてしまっているベントンからは、ドメニコの背しか見えない。見えたとしても、恐らく彼はにこにことはにかむだけだろうが。
「おい、静かにしろと言われているのに茶化すな。」
「はいはい、相変わらず手厳しいなぁ…ごめんね、ベントンって、あれ。」
静かに、の合図を送った手を顔の前に落としたまま、ベントンは寝息を立てていた。
「ふぁ~あ、ベントン見てたら僕も眠くなっちゃった。明日は仕事だし先に寝るね。お休み~。」
「…ああ。」
「お休みなさい。」
髪を解き、ベントンの隣の寝台にのびのびと横になるドメニコを見届ける。
学生の頃、まだ寮で同室になったばかりの時は、横のベッドに女の子が寝ていたのかと、毎朝起きる度に心臓が飛び跳ねていましたっけ…。
ムジカがそんな事を思い出していると、席を立つ気配がした。
「おや、エメットさんどちらへ。」
時計の長針は既に九時を回り、間も無く半分を越えようという所だ。
シリルでも、この付近の治安は良い方だが、クランのメンバーであれ、普通の家庭の住人であれ、酒や賭博好きでもなければ、出歩かずに屋内でのんびりと寛ぐ様な時間である。
「夜風に当たって来る。」
「…そうですか。あ、少しお待ち下さい。」
クス、と笑って立ち上がるムジカを怪訝に思いながら待っていると、部屋の奥から外套を持って現れた。
「砂漠の夜は冷えますから。」
「…助かる。」
ムジカの手から外套を受け取って、それが一枚じゃない事にエメットは気付いた。
その眉間に、本人以外よく見慣れた皺が寄る。
「何故猿の…」
「もし外で会ったら、渡してあげて下さい。」
「会うとは限らんぞ。」
「会わないとも、限りませんから。私は、エメットさんにもワイリーにも、風邪をひいて欲しくないのですよ。」
「…荷物が増える。」
ぶつぶつ言いながらもワイリーの外套を小脇に抱えて出て行ったエメットを見送りながら、ムジカは苦笑した。
「ウィルの上着を持って行かなかったら、風邪をひくのは貴方でしょうから。」
砂の街シリルにも、四季はある。
…仲間の一人が言っていた。外から来た者には判り辛いが、よくよく肌で感じてみれば、季節毎に風が変わり、その風に乗って渡り鳥が飛来し、砂漠の植物達は彼等に種を運んで貰うべく、一斉に花を咲かせ、果実をつける事に気付ける筈だ、と。
とはいえ、どんな季節であれ、昼は暑く夜は寒いのに変わりは無い。
「ちっ…。」
移り住んで一年と少し。大分体も慣れた方だが、マントを前まで引き寄せても滲み込んでくる様な寒さは、他所から来た身には堪えた。
―――それでも、混乱する頭を冷やすには丁度良い。
「今更帰れる訳が無かろう。」
手紙が届いた。遥かベルベニアから。
「どうせ、何も分かってはおらぬのだ。」
あの男は。物事の一側面しか見ていない、彼の者は。
戻ってやるものか、と思う気持ちと、それでは解決出来ないという焦りとが、縺れ合って気持ちを苛立たせる。
手紙がここに届いた。それはつまり、どういう経緯かは分からないが、己の居所が向こうに知れてしまっている、という事なのだ。それだけでも、精神的なダメージは大きい。
―――加えて。一度戻って来い、と手紙には綴られていたが、果たして二度目はあるのだろうか。
彼は、ともすれば止まってしまいそうになる足を必死で動かした。
―――否。手紙はたまには顔を見せろ、とかそういう類ではなかった。あれは…命令だった。
つと、歩みを止める。シリルの街外れの高台。目の前に砂漠を挟み、脈々と連なる緑を湛えた山々、その向こうにはスプロム、そして更に向こうには―――ベルベニア。
「私の居場所を、ようやく見つけたと思ったんだがな。」
丸めて引き出しに突っ込んだとはいえ、その居場所にあの手紙があると思うと、いてもたってもいられなくなって飛び出してきてしまったが。
そろそろ帰らねば―――
ほら、貴方はいつもそうやって無茶をするんですから。こちらの心臓がもちませんよ。
余所見をするな!…仕事は生きて帰る事に意味があるんだ。
…兄様、本当に行ってしまわれるのですか?
―――心配する顔もあるだろう…どちらの家にも。
何度か山の方を振り返りながら、彼はそこを後にした。
結論は未だ出ないまま。
ただ夜中に歩くのもつまらないので、一階のパブでつまみ入りの袋を一つ買った。
苦しい―――しかもどうやら目的はバレバレだったらしい―――言い訳をして出てきたものの、プライドが許さないので、積極的には探さない。
どうせ、その内向こうから見つけるだろう。
「頂きー。」
案の定、持っていた小袋が消えた。噂をすれば…というのは、口に出さなくとも効果があるらしい。
「やるとは言ってない。」
怒って取り返そうとするエメットだが、相手はシーフだ。
「だめだめ、これはもう俺のもんだって。」
上手い事エメットに背を向けながら、ちゃっかり袋を開けて中身を口にしている。
「この…っ!!」
背後から無理やり取り付いて、引っ手繰る様に奪い返し、次に備えて身構える。
が、
「…?」
ワイリーはエメットを軽く睨んだだけで、更に取りに来ようとはしなかった。
「ほら。」
すっかり調子を狂わされたエメットが、食いたきゃ食え、と袋を差し出すが、いい、さっき食ったからもう要らね、と突っ返された。これでは益々調子が狂ってしまう。
それ以上突っかかって来る訳でもなく、ワイリーがふぅ、とついたため息。一瞬、ふわりと白くなって消えたそれを見て、エメットは抱えていた外套の存在を思い出した。
「ワイリー。」
すたすたと先に歩み出していた背に呼び掛け、振り返った所で、追いつきざまにバサリと上着を被せてやる―――顔に。
「てっめ…!!」
「わざわざ持って来てやったんだ。文句を言われる筋合いは無い。」
「お前がぁ!?」
「…、」
ある程度は自分にも責任があるとはいえ、そこまで驚かれるのは心外だ。
ピクリ、と眉を跳ね上げ、おい、と口を開こうとして―――
「へへ、有難うな。」
―――何を言おうとしていたのだったか、素直に礼を言われて吹き飛んでしまった。
「…ムジカが持って行けと言った。」
「へいへい、分かってますって。」
「何をだ。」
「なーんも。」
ようやく、調子が戻ってきた。
しかし、何だろうか、いつも通りなワイリーの筈なのに感じる、このどこかつっかえる様な違和感は。
「…お前、」
「うあ?何だ?」
―――何かあったのか?という言葉は、余計な世話かも知れないという思いにかき消される。
「いや…風邪でもひいたのかと思ってな。」
「ひいてねぇよ、なんで?あ、もしかして心配してくれんの?」
「馬鹿が風邪をひいたら面白い。」
「やろ…!!へ!期待した俺が馬鹿ですよどーせっ!!」
ま、優しいエメットなんて気持ち悪くて虫酸が走るけどな、と肩を竦めるワイリーに、エメットが何だと、と食い付いた。
振り下ろされるその拳を交わし、ニヤリ、と笑って宿の方角を顎でしゃくる。
「ひとっ走り、どうだ?負けた方が明日の朝飯奢りで。」
「上等だ…!」
「よーし!」
シリルの街を、二人の少年が駆けて行く。
すぐ横に追いついてくるエメットを横目で確認し、緩やかなカーブの坂道を下り、
―――その砂地の道が、建物が、いつの間にか広い石畳の城下町へと変わっていく錯覚を覚えながら―――
ワイリーは只々、何かを振り切るかの様に走って行った。
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